2005年10月28日

塾がイヤでイヤで、すぐにやめたいと思いました

T,T
私は、中学2年生の時に入塾しました。
その前の私の成績は、かなりひどくテストなどで出た順位は下から数えた方が早くてどうしようもありませんでした。

でも、私はこの塾に入って変わりました。
入ってすぐは、塾に来るのがイヤでイヤでたまらなく、すぐにやめたいと思いました。

でも、いやいやでも勉強をするにつれて、どんどんわかってくるようになってうれしくてうれしくてたまらないこともありました。
そして、塾に入って最初の期末では、昔と比べるとすごく上がっていて、「もっと勉強していい点をとってやる」と思い、勉強を頑張りました。

3年生になって私は、家ではまったくやらなかった勉強に手をつけるようになりました。多分この塾に入っていなかったら、まったくやらなかっただろうと今思います。

3年2学期の期末は、月火水木金土と来て勉強に励みました。
推薦(前期試験)は落ちてしまったけれど、それは自分が努力をしていないからだと思い、ショックだったけれど勉強を続けました。

受かったかどうかは別にして自分が努力したかどうかの問題だと私は思っています。解説@
(これを書いている時点ではわかりませんでしたが、彼は見事第1志望校に受かりました)

2年間、短い時間で私はいろいろなことを教えてもらって感謝しています。今日で塾も終わりだけど、高校生になったら、ここでのことを思い出して、最初から頑張って勉強して、充実した高校生活を送りたいと思います。

どうしようもない自分を、ここまで勉強にめざめさせてくれて、ありがとうございました。解説A

●家族へ 私は、特に勉強しない方で、よく口ゲンカしたけど、今になって思うと、あの時言うことを聞いておけば良かったと思います。
大変だけど、これからもよろしくお願いします。

●後に続く人たちへ とにかく、今は悔いの残らないように勉強しておいた方が絶対いいと思います。勉強頑張ってください。

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解説@ 最近の事件のニュースなどを聞いていると何でも他人の責任にする風潮が感じられます。特別な事件だけでなく、普通に生徒と接していても彼らの言動にその傾向を強く感じています。

「学校の先生の教え方が下手だから数学がわからない。」
「お母さんが言ってくれないから教科書忘れました。」
「体育があって疲れたから勉強できませんでした。」
   :

年々そういう生徒が増えている気がします。
そんな中で、「結果の責任は自分の努力不足にある」とはっきり書いているのはえらいと思います。彼らが生きるこれからの社会は、ますます自分の責任で家族を守らねばならない社会になります。

自分の人生は自分で責任を持つこと。その大切なことが、自分と向き合う学習を通してわかってきたのでしょう。学習はこれからの人生のシミュレーションをしているようなものです。
苦手な科目から逃げる人は、人生で必ず起こる色々な問題からも逃げる可能性が高いといえます。

彼は大嫌いな勉強に我慢して立ち向かい、成績を上げたことはもちろん、それよりもっと大切な困難を克服した先に達成感や有能感があること、自分でも頑張ればできるという自信を身につけました。たかが勉強ですが、されど勉強です。たいしたものです。

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解説A 「どうしようもない自分」と書いていますが、そんなことはありません。彼は往復10km以上の道を自転車で通い続けました。
これだけでも価値のあることですが、ただ通っただけではありません。入塾後1年と少しの間に内申点をちょうど10点上げました。9科目で10点です。変わらない科目もありましたから、複数の科目で2点上げたのです。

勉強が大嫌いで、塾に入った時から「すぐやめたい」と思っていた彼が、往復10kmの暗い道を自転車で通い続け、頑張って頑張って内申を10点も伸ばしたのです。

一番嫌いだった数学は2段階上げて「4」にしました。まさに彼自身が自分の努力で勝ちとったのです。
数学は私の担当ですが、すべては彼の努力の賜物(たまもの)です。私たちはそのお手伝いをしたに過ぎません。

それでも前期試験は落ちてしまいました。しかし彼はあきらめず後期も同じ高校を受け、行きたいと希望していた高校に堂々実力で合格したのです。

入塾当時、分数の足し算さえわからない彼に、連立方程式や合同の証明をどうやって指導していいか悩んだり、自分を大事にしない彼を本気で叱ったこともありましたが、今では懐かしい思い出です。こういうことがあるのでこの仕事はやめられません。

欲を言えば「もう少し早く入塾してくれていたら、(彼自身が)こんなに苦労しなかったのに、あるいはもっともっと成績も上げられたのに…」と思いますが、当時の彼を塾に連れてくるのに、お母さんは多分相当苦労したのではないかということを考えてみれば、これ以上望んでも仕方ないかもしれません。
posted by 日々 学 at 10:16| Comment(2) | TrackBack(1) | 結果の責任 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「論語」に「古の人は己のために学び、今の人は人のために学ぶ」といった言葉があります。昔の人は、己の人間的成長のために学んだか、現在の人は。他の人に認めてもらうために学んでいる、と言った意味でしょうか。この卒業生の言には、その「己のために学ぶ」と言う学びの原点への目覚めが感じられます。そのことをこの塾で学んだとしたら、この生徒は、この塾で大きなものを得た事になりますね。、
Posted by hsata at 2005年10月28日 13:49
第一号のコメントありがとうございます。

自分の修養、修己のために学ぶというのが本来の学問ですが、自分も含めて難しいですね。
修己(しゅうこ)という言葉も今はあまり聞きません。 「己を修める」と後ろから読めば少しは伝わるかもしれません。 最近の色々な驚くような事件、逮捕された犯人の弁解を聞くと多くが自分で自分(の感情→行動)をコントロールできずに起きていることがわかります。 色々な情報、刺激があふれる今こそ、「修己のために学ぶ」学習が必要だと思います。
Posted by 日々 学 at 2005年10月30日 22:12
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Tracked: 2005-10-31 01:22
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