2005年11月04日

勉強がわかって楽しくなってきました

K,N 
私は2年生の秋にこの秀学舎に入りました。
前々から「このまま行くと3年生の受験の時に、果たして自分の行きたい高校に受かるだろうか」等と思っていて、塾に入ろうか迷っていた時、友達のSさんが、ここの塾を教えてくれて入ろうと決めました。

ここは個別指導なので競争も無く、勉強に集中できたと思います。話を友達としていて怒られたこともあったけど、勉強をしていると、わかってきてだんだん楽しくなってきました。解説@

高校は私は私立一本の単願で入りました。無事高校にも入れてよかったです。まだ3年生最後の期末があるので勉強は復習も兼ねてしたいと思います。今までお世話になりました。ありがとうございました。

●家族へ 
私は家族に色々迷惑をかけたりして、時にはきつい言い方をしてしまったりしたこともありました。これからも迷惑をかけることがあるかもしれないけどよろしくお願いします。今まで協力してくれてありがとうございます。

●後に続く人たちへ 
1年生や2年生の人たちはまだ3年生ではないから、勉強は3年生になってからでいいやと思っている人がいるかもしれません。でも普段勉強してまだ足らないくらいだから、今から勉強はしておいた方がいいと思います。目標の高校へ向かって頑張ってください。

**************************

解説@ 
わからないものは面白くありません。逆にわかってくると面白くなります。わからないままの勉強を仕方なくいやいや続けると、勉強以外にも影響が表れます。

セリグマンという心理学者は、「無力感は学習される」と主張しています。わからないこと、できないことが、あるレベルを超えると、人間は無力化します。自分は何もわからないしできない、「自分は無力だ」、「自分は何もできない」と感じて意思が弱くなります。
 
秀学舎の意思の5段階解説Aのレベルでいうと、逃避や無気力の段階です。
秀学舎通信で以前『ゲーム脳の恐怖』をとり上げ、前頭葉の大切さについて述べましたが、実はこの前頭葉は意思を生み出す脳です。ですから意思が弱いということは、前頭葉の働きが弱いということでもあります。

前頭葉が働かない人は、物事の善悪を考えられず、少しのことでもすぐキレることが多くなります。その上、周りの人に気を配ったり、物事に集中することができない、考える力がない、やる気がない…ということになります。

これでは受験勉強に限らず、一人前の社会人として生きていくこともさえできないでしょう。このように、わからないことをそのままにしておくことは、こういう恐ろしいことにつながる可能性があるのです。

だからこそ、わからないものをそのままにしておいてはいけないのです。わからなくて嫌いな科目でも、しっかり質問して理解してから、それを覚える練習をしたり復習すれば、わからないままということは絶対にありません。少しでもわかって自分で問題が解けると脳内でド−パミンというホルモンが分泌されます。これは喜びを感じるホルモンで達成感や有能感のもととなり、さらに難しい課題に挑戦していくエネルギーになります。
 
学ぶ精神十則(9)「勉強の仕方や努力してわからない事は、先生にわかるまで質問しよう。」は、勉強が好きになる大事なポイントです。
 
今わからなくても他の問題がわかればいいとか、試験前にやるからいいというのは、勉強がわからなくなる前兆です。わからないことがあったらなるべくその場で質問したり調べたりして解決することが大切です。

解説A 意思の5段階
解説中の解説になってしまいました。
ブログをスタートしたばかり(一週間)なので、どうしてもSSA学習科学研究会独自に研究開発した学習法や、それを表す言葉を説明する必要があります。読まれる方は、まだるっこしいと思いますが、少しずつ解説していきますのでしばらくご了承下さい。

学習指導の際、生徒の意思(やる気)の状態を教師が把握することは、非常に重要なことです。一斉指導の場合は一人ひとりの感情や意思状態に対応するのはほとんど不可能です。個別指導ではこれをかなりはっきり意識して指導します。

勉強が苦手な生徒は、多くの場合積極的には勉強にに立ち向かいません。
勉強から逃げます。この段階を「逃避段階」と呼びます。ノートを忘れる、わからないことをごまかす、ウソをつくなど、とにかく勉強をしないで済むことに力を入れます。

意識してやることもありますが、本人が気づかないうちにそういう態度をとっていることもあります。正常な自己防衛反応である場合もあります。
ちょうど動物が、自分より強い相手に遭遇した場合と同じです。とてもかなわないから一目散に逃げるわけです。

逃げることさえできない時には死んだ振りをします。蛇ににらまれたカエル状態と言えます。「無気力段階」です。
随分前から問題になっている引きこもりはこれに当たります。

かなわないのを承知で、死に物狂いで戦う場合もあります。「窮鼠猫を噛む」と言われるような場合も含めますが、普通はそこまで追い込まれなくても、例えばテストが近づけば、それまで逃げていた生徒も勉強を始めます。これを努力段階と呼びます。

意思が本来の働きをしていない順に言うと、
無気力段階
逃避段階
努力段階 となります。

親や指導者のタイプにもよりますが、それぞれの段階でとるべき指導あるいは接し方は違います。ここでは細かく述べているスペースはありません。いずれ具体的な指導についても踏み込んでいきたいと思いますが、特に無気力段階、逃避段階で必要なことは最も近い存在(一般的には父母)との信頼関係です。

この段階で、親や教師が気をつけねばならないのは、いずれの段階も、本人は「勉強しよう、勉強しなければ…」という意識は持っていることが多いということです。それが「どうせ勉強したって自分は…、勉強なんてわかりっこない、自分はバカだ…」という無意識に縛られて動けないでいるだけです。

一向に勉強に向かわない姿を見て、心配のあまり「まったくやる気が無いんだから…」と責めたりすることが続くと、一番大切なラ・ポール(信頼)の関係が崩れてしまいます。
これでは逆効果です。

努力の上の段階が、好きな科目は進んで勉強するが、嫌いな科目はまったくしないという段階が興味段階です。好きなことはやるが嫌いなことは必要であってもやらない状態です。

好き嫌いに関係なく、自分の成長のために喜んで学習をする段階を自立段階と呼んでいます。

目の前の生徒がどの段階で授業を受けているのか、それをはずすと学習効果は上がりません。
これらについては、今、紹介を続けている生徒の卒業作文が区切りがついた段階で、詳しく採り上げていくつもりです。

また、SSA学習科学研究会には、「意思」と合わせ学習の3要素といわれる「知識」「操作」や具体的な各種学習法、そのもとになっている人間の脳についての説明など、各種のビデオ教材(講師用、親用、生徒用)がそろっています。
今後、これらを一般向けに編集し公表する計画もあります

意思(やる気)の5段階については、SSA主任研究員のTokigen先生が『塾長日記』で採り上げていますのでそちらもご覧下さい。


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posted by 日々 学 at 00:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 卒業作文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やはり考えている人は考えていますね。

でも、少数派な気がするのは僕だけでしょうか?

『先生』と呼ばれる人にまず求められるものは、
授業などのスキルよりも、
まずは、子供の状態、子供の気持ちを察することができる能力と思いますね。
Posted by SHIN at 2005年11月04日 11:47
やる気の5段階については、日々先生の語り方のほうが、説得力がありそうです。
是非、先生の切り口で、「やる気の5段階」を解りやすくご説明ください。
先生の文章力にはいつも感心させられます。
以前、新聞の記者をなさっていたことがあると伺ったことがありますが、なるほどな、と思われます。
Posted by tokigen at 2005年11月04日 15:35
SHINさんへ
コメントありがとうございます。
「まずは、子どもの状態、子どもの気持ちを察することができる能力が必要」というのは、まさに言われる通りだと思います。
SSAではよく「頭の中をのぞけ」と言います。心は脳の活動の結果ですから、「頭の中をのぞく」というのは、生徒の気持ち、やる気、感情、知識、操作能力、その日の疲労などを察して指導に当たれという意味です。いずれにしても、生徒の気持ちを無視した一方的な指導では生徒には伝わりません。
最近医療の世界で「病気を見て病人を診ない」医者が増えてきたことが問題視されていますが、このことと重なりますね。
今回は作文の解説文というわずかなスペースでしたので、説明不足は免れません。

少数派云々はよくわかりません。この歳ですからやりたいことをやりたいと思っているだけです。
それで飯が食えればありがたい、それで少しでも社会のお役に立てればもっとありがたいと思っています。
始めたばかりのつたないブログですが、ぜひまたお寄り下さい。コメントありがとうございました。
Posted by 日々 学 at 2005年11月04日 16:54
tokigenさんへ
お忙しい中コメントありがとうございます。
新聞記者と言っても小さな地方紙ですし、それに新聞の記事は基本的に、「何がいつどこでどうした」という面白みの無いものが中心でした。記事文章に個性を出してはいけません。
何かあると、つい逃避レベルに逃げたくなる私ですが、これからのよろしくお願いします。
Posted by 日々 学 at 2005年11月04日 19:19
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