2005年11月06日

自分で決めたことは出来るようになった

A,Y
私は中学1年生のとき秀学舎に通い始めました。私は個別指導ということと部活があると遠いと大変だからという単純な理由で秀学舎に入塾しました。

初めて塾で勉強したときは、本当に驚きの連続でした。立腰ははじめは「黙とう」をしているのかと思い、本当にびっくりしました。友達からも立腰をしたり授業の最後に感想を書いたりすることなんか、聞いたこともなくて不思議に思いました。

そして周りのみんなはまじめに勉強していて、すごく静かに感じました。聞こえるのは流れている音楽と、質問している人の声と、私のお腹がなっている音だけ…。解説@

何もかもみんなは進むのが早く、ついていくのが大変だったけど、慣れていくうちにやっと何とかできるようになっていきました。

しかし、2年生の部活に燃える時期は練習も多くなり、疲れて塾を休んでしまうことがあってテストの点数も下がってしまいました。その時先生に、「部活で意志を鍛えて、部活が終わったら精一杯頑張るように」と言われました。

そして、勉強と部活の両立は難しいながらも何とか乗り越えることが出来たと思います。3年生の夏休みからは、受験に向けての勉強が始まり、とても助かりました。

毎月の秀学舎通信や授業の感想も、はじめはまったく書けなかったのが、繰り返していくうちにすらすら書けるようになりました。学習面以外でもたくさん学んだことがありました。意志を強く持って、自分で決めたことは出来るようになりました。解説A

秀学舎は私が勉強するのにとても良い環境で、部活で疲れて塾に行きたくなかったときでも、来て勉強を始めれば2時間がすぐ過ぎてしまいました。解説B

この塾に通っていなければ、推薦で第一希望の高校に合格できていなかったと思います。
三年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。

●家族へ
進路で悩んでいるときも相談にのってくれ、私の意見を尊重してくれてありがとう。高校生になっても、部活も勉強も自分なりに頑張るぞー。これからもよろしくお願いします。

●後に続く人たちへ
部活も勉強も、精一杯頑張って下さい。受験はすっごく大変だけど、自分の意志を強く持って勉強に燃えてください。目標をしっかり立てて、それに向かって努力すればきっと成果が出ると思います。

*******************************

解説@ 文章を書く力 
後の方に「はじめは授業感想もまったく書けなかった」とありますが、こういう長い文章を書くことができ、またこんなユーモアがさりげなく書けるというのは、かなりの文章力が身に付いた証拠です。

文章を書く力は、一朝一夕にはつきません。文章が書けるためにはその前に、完全ではないにしても、起承転結にそった論理の筋道を、頭の中で組み立てられる力が必要です。

筋道を追って考える力=判断力は当塾で意思力と並んで、将来の社会で幸せに生きる力に上げている能力です。
判断力=やってはいけない事、やらなくてはいけない事の判断力を身につけずに社会で幸せに生きることはできないと言えます。

文章力は自分の考えを論理的にまとめる力、それをポイントを絞ってわかりやすく表現する力、語句の力、常識、それらを総合した能力ですから、学習能力そのものと言えます。
ですから、論理的にしっかりした文章が書ける生徒は、例外なく国語以外の科目でも、優秀な成績を残しています。

そして文章を書く力があるレベルに達すると、必然的に自分と向き合わざるをえません。自分を見つめる作業、自己の生き方に迫る作業が必要になります。自分が無い文章は言葉の羅列にしか感じられなくなるのです。自分と向き合う作業を通して、自分がやるべきこと、やってはいけない事の判断力がついていきます。

解説A 意志の力
10/30のUさんと一緒に、中3の7月一杯“部活命!”のような生活を送っていました。

「部活で意思を鍛えておけば大丈夫」とは、誰に対してもそう言っている訳ではありません。彼女達だからこそ、そう言ったのです。

予想した通り、彼女は部活の厳しい練習で鍛えた意思力で、夏期講習から受験勉強に真剣に取り組みました。その結果、一番大事な3年2学期の内申は5科目合計で465点、期末には3年間の自己最高となる471点をとりました。内申も1学期より5点上げて41でした。

彼女の場合は、その意思力に支えられた努力によって、まさに自分の合格を勝ち取ったという感じがします。

秀学舎では学生アルバイトは使わない方針ですが、今年の生徒には大学生になった時、講師に頼みたい人がたくさんいます。もちろん彼女もその一人です。

「部活はやった方が内申にいい」とか「部活ばかりやっていては受験が心配だ」等部活と勉強の両立については色々な考え方があります。しかし彼女の場合はそれらの議論のレベルをはるかに越えています。
 
その生徒の性格や学力、志望校、それに個々の部活の練習状況、顧問の考え方等によってさまざまで一言では言えませんが、何事も真剣にやることが大切だということは言えるでしょう。真剣にやれば得るものもありますが、部活も中途半端、勉強も中途半端というのが一番良くありません。

それにしても、「意志を強く持って、自分で決めたことはできるようになりました。」は普通、なかなか言えません。しかし彼女には、そう言うだけの資格が十分にあります。
彼女にも立腰をやりつづけた生徒が持つ意思の強さを改めて感じます。

このブログでは「意志」と「意思」の2種類の「いし」を使っています。
意志は、やりたいと思うことをやろうとする気持ちです。やる気と言っていいと思います。

これに対して意思は、例えば私のように高所恐怖症の人が「高いところに登ろう」という意志を持っても、怖いというイメージが勝り身体を含めて拒否することがあります。この場合のいしを意思を使っています。

意志と意思。読み返しましたが、うまく説明できていませんね。いずれスペースをとって詳しく触れたいと思います。

意志の5段階のうち(の解説A)、無気力、逃避、努力の意思エネルギーの低い段階で、
意志では「勉強しよう、勉強しなくちゃ」と思っているのに、「勉強はイヤだ、数学は嫌いだ」という恐怖、不安から体が動かず、自分からは学習すすことができません。これはウィルヘルム・ライヒのいう筋肉の鎧ですが、これについてもいずれ触れることにします。

ブログを続けていると、色々なことを書いているつもりですが、書けば書くほど書かねばならないことが増えてしまいます。
「いずれ触れます」ということばかりが多くなって、お読みいただいている人には、中途半端でストレスを与えているのではないでしょうか。等と書きながら、学習指導のことを書くと、このストレスについてもいずれ触れる必要があるなどと考えている今日この頃です(笑)

いっそ別のブログ立ち上げた方が早いかもしれません。

解説B 立腰(りつよう)
立腰は自律神経の働きを高める自律訓練法の姿勢でもあります。立腰し腹式呼吸をすると、身体の血流量が増加します。足が温かくなり、頭や身体の働きが良くなります。その結果部活でたまった乳酸等の疲労物質が分解排除され、疲れがとれ学習に集中できるようになります。

集中すると時間の過ぎるのが速く感じられます。テスト勉強や講習などで、3時間、4時間学習を続けてもずっと集中を保つことができるようになります。

集中力が身につくと、家庭学習が必要な受験勉強の時に特に威力を発揮します。同じ勉強時間で、理解力が増し、それまでの何倍も学習効果が上がります。

これは立腰姿勢のホンの一部の効果です。いずれではなく次回、立腰について述べる予定です。



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posted by 日々 学 at 21:40| Comment(6) | TrackBack(1) | 意思を鍛える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「意思」と「意志」の違いを説明する上でのヒントになるかもしれないことについて記します。先週の土曜日「朝生」で「憲法問題」をやっていました。そこで、「憲法」は民主主義は事が起こったとき、その時の権力の一時的判断の誤りを防ぐために平時に良く話し合って決めておくものだと言う説明がありました。
 「意志」は、我々の「〜しよう」と言う意識であり、その主体を「自我」と呼び、「意思]はそれを生む無意識を含めたより根源的な思考や行動の選択に関わる働きとし、その主体を[自己」とすると、[自己]を国民、[自我]を[時の政権]、「意志」はその判断に譬えてみます。
Posted by hsata at 2005年11月07日 08:25
(つづき)
 また、「意志」と「意思]は、[心]と「性(こころをうむはたらき」)の関係に対応されます。我々は、ことに接したとき、「意志」に従って行動します。したがって、なぜならそのときは、それが「自分」であるからです。そこで、日頃反省の意識が働く平時に[性]のあり方を正しておく必要があります。それが、様々な宗教の言う修養法です。儒教では、静座と読書です。乱暴に言えば[立腰]と「学習」です。(森信三先生は陽明学者でした。)
 これは、事態が起きたとき、時の政権に判断をゆだねるしかないので、平時に、それを選ぶ制度を正したり、選挙での選挙を真剣にやったりする事に譬えて理解できないか、という事です。
Posted by at 2005年11月07日 08:43
意思と、意志。
なるほど・・・・

部活って大事ですよね。
個人的にはですけど、
体を動かすということがよいと思います。
いままで、成績がよかったのは、
小学生でラグビーをやっていたときと、
高校3年生の最後の部活の試合前なんですよね。
いろんな意味で、
やらなければならないことに集中できているのだと思います。

ブログをカテゴリでわければ、
色々述べたいことがきれいにまとまるかもしれませんよ☆
同じ、seesaa.netなのでできると思います。
Posted by SHIN at 2005年11月08日 19:04
hsata先生
いつもコメントありがとうございます。私のもう一つのブログに週刊誌から取材依頼があり、そちらの方で忙しくしていたので、返信が遅れてしまいました。
最近、信じられないような事件が続発しています。逮捕後に語る動機はきまって、「カッとしてつい…」とかおよそ理由にならない理由です。
そうなったときの判断が意志で、そうなって(カッとして)からではどうにもならないから、普段、そのカッとする怒りを生み出す本性のブレをなくすこと、事があっても「怒りを遷(うつ)さず」ニュートラルのポジショニングが必要で、それが立腰を続ける意義でもある。そういうことでしょうか。
Posted by 日々 学 at 2005年11月10日 21:52
SHINさんへ
コメントありがとうございます。
昔の人が言った「文武両道」と言うのは、今は余り流行りませんが、身体を鍛えるということの意味は、現代の人が考える以上に、人間の健全な成長にとって意味があるようですね。
心身二元論では解決できないことがたくさんありそうです。

カテゴリ分類ですね。教えて頂いてありがとうございます。今後すこしずつ分類したいと思います。行き当たりばったりではいけませんね。
Posted by 日々 学 at 2005年11月10日 22:05
 先生の言われた例もそうですし、知的な判断においても同様なことが言えると思います。偏った価値観、思想が、我々の内部に言語組織として存在すると、それが知的な判断を迫られたとき、活性化し意識化し、偏見として働くのだと思います。そうすると、その基になる言語組織を日頃の学習で正しく築き上げておく必要があるのだと思います。その正しい学習をもたらすのは、先生がいわれる、ニュートラルのポジショニング、「中庸」でしょう。
Posted by hsata at 2005年11月12日 09:36
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