2005年11月18日

姿勢だけでこんなに違うのかと驚きました

A,S
私がこの塾に入ったのは、昨年の8月頃でした。
それまでは受験とかあまり深く考えていなかったけれど、中3の夏休みにどれくらい頑張れるかが、2学期の成績にかかわると聞き、それが入塾のきっかけでした。
私が塾で一番驚いたのは、立腰(りつよう)でした。私はもともと姿勢が悪く、初めはものすごくきつかったです。
しかし、背筋を伸ばして勉強すると、猫背のときより集中が長続きし、ケアレスミスも以前より少なくなりました。

姿勢だけでこんなに違うのかと、自分自身とても驚きました。今では勉強するときはまず姿勢を意識しています。姿勢を意識するとしないとでは、勉強の効率の差が大きいと実感しました。解説@

夏期講習から12月中旬ぐらいまでは、特に数学に力を入れていました。私は数学が大の苦手で、授業でもわからなかったり自信のないところがけっこうありました。

しかし、秀学舎は自分のペースで勉強でき、わからないところは先生が丁寧に教えて下さり、自分に合った勉強が出来たと思います。二学期は、一学期に比べて数学のテストの点数がグンと上がり、とても驚きました。解説A

行事などで多忙な二学期に成績が上がったのは、塾でしっかり勉強できたからだと思います。そして今私は、S学園の特進と、T高校の推薦(前期)の両方に合格でき、とても嬉しく思っています。

塾でしっかり勉強でき、数学を頑張れたから公立私立の両方の第一志望校に合格できたのだと思います。この塾に入って、本当に良かったです。

合格しましたが、ここで気を抜いてはいけないので、毎日の勉強はしっかり続けたいです。今年の県立問題もやるつもりなので、できれば150点くらいはとれるようにしたいです。解説Bありがとうございました。

★家族へ
県公立、私立併願校、二つともなかなか決まらなくて、迷惑ばかりかけてしまいました。しかし、ここまで、これたのは、ずっと支えてくれた家族のおかげです。本当にありがとうございました。

★後に続く人達へ
受験はけして避けて通れないものです。受験当日まで、どれくらい頑張れるかが合否を分けるものになると思います。また、受験には強い意思を持って臨んで下さい。中途半端では、途中で必ず挫折(ざせつ)してしまいます。受験はとても辛いですが、頑張って下さい。

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解説@
「姿勢と学習能力」の関係については何度も説明していますが、ここに書かれている通り、背筋を伸ばす(腰を入れる)と頭の働きが良くなりケアレスミスが減ります。

このことについては、昨年度の卒業文集でも多くの生徒が指摘していました。
しかも偏差値の高い、いわゆる難関校に合格した人ほどそのことを強く言い、実際の学習中も姿勢が崩れなかったのに対して、その反対の人ほど学習中、姿勢を何度も直されるという傾向がありました。

大学生の頃から数えれば約30年以上塾で教えてきた経験から、「姿勢が良い人は集中力が高く、必ず成績が良くなる。」と自信を持って言い切ることができます。そして、それは一般の人が考えている以上に重要なことであるということも付け加えておきます。

解説A 
その結果、大の苦手だった数学が2学期「5」になりました。数学だけでなく全体的にも成績が上がり、5教科合計で463点でした。

「わからないところは先生が丁寧に教えてくれた」とありますが、何でもかんでも丁寧に教えたわけではありません。

一般的には、生徒が「わかりません」と言ったとき、すぐにわかりやすく教えるのが先生の仕事と思われています。しかし、それをずっと続けるとどういうことが起こるでしょう。

ちょっと難しい問題を前にすると、すぐあきらめて先生に聞くようになります。つまり、教えすぎると、「わからない→自分で考えずすぐ質問」という条件反射ができあがってしまいます。これでは、自分の頭はあまり使いませんから、考える力がつきません。

Y,Aさんの作文(次回掲載予定)の冒頭に、「それまで色々な塾に通っていましたが成績は上がらずに困っていました。」という一文があります。Y,Aさんがそれまで通っていた塾は、主に個別指導の塾でした。

そこでは、わからない問題は先生が一から十まで丁寧に教えてくれたそうです。Y,Aさんの名誉のために付け加えておきますが、丁寧に教えてくれていたのに成績が上がらなかったのは、彼女に問題があったというわけではありません。その証拠に秀学舎に入ってからは英語だけでなく他の科目も成績が伸びてきたのですから。

実は丁寧に教えられれば教えられるほど、自分で考えることをしなくなるのが普通なのです。過保護に育てば育つほど、自分からは何もしない無気力な性格になることが多いというパターンに似ています。

ちょっと考えて下さい。難しい問題があったら、「わかりません。」と言いさえすれば、先生が「待ってました。私の出番です。」と言って一生懸命に分からせてくれるのですから、生徒にとってこんな楽なことはありません。

先生の方でも「私がわかりやすく教えたから…」と(自己)満足できます。しかし、これでは生徒本人には、「自分で考える力」も「自分で考える習慣」もつかないのは当然です。

先生に教えてもらった問題は覚えているうちはできるが、ちょっと変えた問題は考えることができないということになってしまいます。これではいつまで経っても応用問題はできません。

そしてさらに、教えまくる授業にはもう一つ重大な欠点があります。それは、「自分で苦労して考えついたことは忘れないが、教えられたことはその場では分かったつもりになってもすぐ忘れる」ということです。

これは、テレビのクイズ番組を考えると良くわかります。テレビを見ているときは、正解とその説明を聞くと「なるほど、そうか」等とよく分かったつもりになります。ところが、一週間も経てば覚えていることはほんのわずかしかない、という人が多いのではないでしょうか。

教育には、短期的に見れば良いが、長期的に見るとその子をだめにしてしまうということがたくさんあります。

「分かりやすく教える」ということは、そのことだけ見ればよいことです。しかし、それを続けると長期的には、子どもを「自分では考えない、依頼心の強い性格」にしてしまう危険性を持っているのです。親も教師も気をつけなくてはいけません。

では、「分かりません」という生徒に、どう教えればよいのでしょうか。

秀学舎の教室には自立度の表が張ってあります。

自立度10 自分で考えてできた。
自立度9 自分で調べてできた。

自立度8 方法を教えてもらってできた。
自立度7 ヒントをもらってできた。

自立度6 途中まで教えてもらってできた
自立度5 全部教えてもらってできた。
  :      :


その人のレベルや科目、単元ごとの得意不得意、必要な知識の有無等によって異なりますが、初めは「全部教えてもらってできた」からスタートして何の問題もありません。

むしろ勉強を苦手にしていたり、「自分はできない」と思い込んでいる生徒には、「分かる喜び」や「自分でもできる」という自信をつけるためにも丁寧に分かりやすく教えることは絶対的に必要なことです。

しかし、いつまでもそこにとどまっていては、その生徒の成長はありません。それまで全部教えていた生徒にも様子を見ながら、

「おつりはいくら?って書いてあるよ。おつりは何算かな?」とか、
「何を求めるのかな?」
「問題に書かれている条件は何?」等と考えるヒントを出して考えさせるようにします。

先生のヒントで考えられるようになったら、次は自分でヒントを探す段階です。どんな問題でも、よく読めば問題の中にヒントが隠されています。それを自分で探し出すのです。この段階まで来れば、自分で考える習慣がつき、成績は安定します。

その次の段階は、問題解決の方法を指導します。数学や理科なら、対照読み、線分図や図解、問題の分解と再構成など、英語なら単語の効果的な記憶のし方、区切り、中間日本語、文法分解などの細かい具体的なことから、最後には集中の仕方、目的意識の持ち方、計画学習ができるようになるまで。

このように、少しずつ自立度を上げていき、最後にはそれまでに解いたことの無い種類の問題でも、自立度10で自分の頭を使って解決できるようにするというのが私たちの狙いとするところです。

実際、A,Sさんも受験を迎える頃には、わからない問題があると、ただ「分かりません」と言うだけでなく、問題のある部分を示して「ここからが分かりません。ヒントを下さい。」という言い方に変わってきました。

また、先日は、自力で正解した問題を「すっきりしないので他の解き方があったら教えて下さい。」とも言ってきました。

高校中退者が年間12万人と言われる時代ですが、解説Bの部分とも合わせて、このような態度で学習を続けられれば、高校へ入った後も安心です。

解説B この作文は、前期で合格した直後に書いたものです。普通なら、「勉強はしばらく忘れてのんびりしたい」となるところですが、自主学習能力が本物に近づいた証拠です。


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posted by 日々 学 at 00:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 立腰(りつよう) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「教えられたこと」が、即、能力にならないのは、機能分析をするとすぐわかりますね。教えられた結果と、それが能力化することとの間には、感覚系のプログラムを運動系のプログラムに移行させるのに似た違いがあります。教えられたことがそのまま能力化するケースもありますが、それは、学習者の内部で、たまたまその移行のプロセスがおきたのであり、普通は分けて考えるべきですね。学習の「学』は「真似び」、「習」は「繰り返して身につくこと」で、昔の人は良くわかっていたのだと思います。
Posted by hsata at 2005年11月18日 08:16
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